|
|
|
|
|
|
|
|
| ||
本書に収録されている第一世紀の数々の証言記録は、イエス・キリストの誕生や十字架刑の日の出来事の詳細、さらには、キリスト復活後の大祭司カヤパや総督ピラトを一変させた体験なども私たちに伝えてくれています。 [イエス様が26歳頃の聴取]からは、当時のイエス様の高潔な御人格と私生活も知ることができます。 イエス様の地上で過ごされた高潔で高邁(こうまい)な生き方は、すべての聖徒の手本以外の何ものでもありません。 本書を聖徒の皆様に心からおすすめします。 (内容の説明は、下段の《イエス様の高潔で高邁な生き方》をお読みください) |
【1】ベツレヘムの羊飼いたちへの、ヨナタンによる聴取 |
|
【2】ベツレヘム会堂の祭司メルカーの手紙 |
|
【3】イエスに関する、ヨセフとマリアらへのガマリエルによる聴取 [イエス様が26歳頃の聴取] |
|
【4】イエスの処刑に関する、大祭司カヤパから議会への第一の報告書 |
|
【5】イエスの復活に関する、大祭司カヤパから議会への第二の報告書 |
|
【6】イエス・キリストの逮捕・尋問・十字架刑に関する、総督ピラトからローマ皇帝カイサルへの報告書 |
『ピラトの行い』
|
【7】これらの記録文書の発見 W・D・マハン |
|
本書の【1】および【2】では、イエス・キリストがお生まれになり、天使たちが現れた時(ルカ2・8〜)の状況が、二人の羊飼いたちの証言で詳しくわかります。 幸いにもその感動的な場に居合わせた祭司メルカーは、周りに集まった人々とともに神を賛美して感謝をささげました。 メルカーはこう述べています。
【3】には、当時の議会から派遣されたガマリエルという人物による、ヨセフとマリアらへの聴取が記録されています。 これは、イエス様が26歳頃の聴取です。 ガマリエルは、この聞き取り調査により、「マリアは、このような男(ヨセフ)の妻にしては、あまりにも気品のある人です」 と述べ、イエス様の家庭が決して理想的な環境ではなかったことも見出しています。 ただし、聖徒たちにとって特に関心があるのは、たとえば、イエス様の御人格、家庭での日常生活、私生活のような、非常に興味深い情報ではないでしょうか。 母マリアは、こう述べています。
そのような状況で、イエス様が当時、どのような対応をされ、どのような社会生活、家庭生活をおくられたかを知ることも、現代の聖徒たちにとって貴重な情報であるはずです。 ガマリエル氏は次の重要な質問もしています。
(「イエスの父親はヨセフ」とする改ざん聖書の主張は、母マリアの口から明確に否定されています!) ガマリエル氏は、マリア、ヨセフ、学識者マサリアン、マルタとマリアらへの聴取、さらには、「この重要な問題についてあらゆる情報を得、事実を真実に語ると思われる、利害関係のない人々からその情報を受け」た後、 彼自身の結論を、こう述べています。
【4】の大祭司カヤパが議会へ提出した『第一の報告書』では、彼がイエス様に「死の判決を下した」のは、「集会を異端から守るため、また、ユダヤ社会の信条が崩壊に至ることから救うため」であったと述べていました。 ところが、その後、【5】に記されているように、大祭司カヤパはすばらしい体験をしました! 本書の編纂者マハン師は、こう述べています。
マッキントッシュ博士はこう述べています。
カヤパは、守衛長マルキュスを呼んで報告を受け、さらに、ヨハネとペテロを呼びました。 彼らはマリアとヨハンナを連れて来ました。 カヤパは彼らから詳しい説明や証言を聞きました。 こうして、彼はすばらしい体験をしたのです。
この体験が、大祭司カヤパの人生を一変させました! カヤパはこう告白しています。
カヤパは、イエス様こそが、「私たちが非常に長い間捜し求めてきた救い主である」とわかり、「私が彼を十字架に付ける媒介となった」と初めてわかったのです! 【6】の総督ピラトも同様です。 ピラトは初めてイエス様を大群衆の中に見かけた時の感想を、こう述べています。
その後、ピラトはイエス様に手紙を書き、執政官庁でイエス様と会見しました。 ピラトは、こう告白しています。
そして、この時、彼がイエス様と交わした長い会話も本書に収録されています。 ピラトはイエス様の十字架刑を許した後、「わびしさと悲しみの空気に包まれ」ていました。 アリマタヤの老人ヨセフがイエス様の亡骸を墓に納めることを願い出た時、ピラトはこう述べています。
ピラトも、前述の大祭司カヤパのように、守衛長マルキュスや、大ぜいの死者を見た副官イシャムを呼んで、彼らの証言や体験に耳を傾けました。 こうしてピラトは、「心痛む思いで」この第二の報告書を書き進め、自らの結論をこう述べています。
本書に収録されている第一世紀の数々の証言記録は、イエス・キリストの誕生、彼の高潔な御人格と私生活、さらには、大祭司カヤパや総督ピラトの心情と体験、および、彼らのすばらしい変化を私たちに伝えてくれています。 イエス様の地上で過ごされた高潔で高邁(こうまい)な生き方は、すべての聖徒の手本以外の何ものでもありません。
|
|
(読者からのご質問と回答をアレンジしてご紹介します) Q : 作者のW.D.マハン師をウィキペディアで調べると虚偽の本作成の疑いで教会牧師を停職などとなってるのですが、この本の真偽について問題はないのでしょうか? 既成事実になってないということは、認められてないことなのではと思いますが… A : ご質問では、「既成事実になってないということは、認められてないことなのではと思います」と書かれていますが、ウィキペディアやグーグル検索で現れる上位のリンク先を調べるだけでは、真実がわからないことが多くあります。 たとえば、カルビニズムについてそのような仕方で調べるなら、そのような主張をする教会は福音派のキリスト教であるという結論に至り、当ミニストリーズが主張するような、異端・カルトであるという主張は間違いなのではないかということになることでしょう。 また、カトリックについて調べるなら、それも彼らなりにキリストの教えに従うキリスト教会であり、カトリック教徒も救われているという結論に至り、当ミニストリーズが主張するような、ルシファー礼拝をする集団という主張は間違いなのでは、ということになるでしょう。 インターネットの世界、そしてウィキペディアの世界も、中立的な立場の世界ではなく、リベラル主義やカルビニズムの世界であり、さらにはカトリック教会も関わるサタン的支配の世界であることを認識する必要があります。 インターネットの世界では、カトリックの教えに反することや、サタンの欺瞞を暴くような事柄についての記事や情報は、排除あるいは削除される傾向が強く存在します。 バチカンについての疑惑を暴くホームページがいつのまにか閲覧不可となっていたり、悪の世界を暴く優れた本が、いつのまにか購入できなくなっていたりすることもあります。 さて、作者のW.D.マハン師の裁判のことですが、彼を訴えた裁判のことを詳しく調べると、カトリック教会がこの本の出版に反対して大きく関わっていることがわかります。 マハン師が本書で明らかにしていることの中には、カトリック教会の教理や主張を完全に否定してしまう内容が含まれています。 一つは、ガマリエル氏の次の言明です。
「イエスの父親はヨセフ」とする改ざん聖書の主張は、母マリアの口から明確に否定されています! 一方、カトリック教会は、「イエスの父はヨセフである」という主張を貫いています。 (詳細は→重要な神のことば(イエス様の「父」について)の改ざん事例…ルカ2・33 参照) それは、カトリック教会にとっては、快く思わないことであるどころか、決して許容できないはずです! この裁判で、マハン師はバチカンを訪れた事実を証言しましたが、バチカン側は否定しました。 バチカン写本の偽造について本やホームページからわかるように、彼らは自分たちに不都合なことを否定したり偽ったりしています。 マハン師は死ぬまで自らの正当性を撤回しませんでした。 裁判は、マハン師側の主張よりもバチカン側の主張を正しいとみなしました。 この裁判の結果、マハン師の本は「偽造物」だという記事が広められています。 当ミニストリーズは、神に祈り求めつつ至った結論として、バチカン側の主張は偽りであり、マハン師側の主張が正しいと確信しています。 当ミニストリーズは、「既成事実になってないということは、認められてないこと」とは考えていません。 さらに、本書はイエス様が《高潔で高邁な方》であることを伝えており、『偽造物』を作り出して人々をだまそうとする人物が、人々にイエス・キリストを敬わせることをするとは考えられません。 イエス・キリストに敵対する人々であれば、むしろ逆に、イエス・キリストを軽蔑させたり、人々がイエス・キリストを受け入れなくさせるような本を偽造することでしょう。 |
ページの上へ↑ | ||||||||
![]()
|