■人々が不信仰なことばかり話題にしている教会
当時、すでに私は神のいやしについて知っており、いやされて、死の床から起こされていました。
それは私がバプテスト派に属する少年の頃のことであり、私は祖母のメソジスト派の聖書を読んでいました。
けれども、私は一人で信仰に立ち、私のいやしを受け取ったのです。
私には、いっしょに立ってくれる人も、いっしょに祈ってくれる人もいませんでした。
私の教会には、私と同じように信じている人が一人もいなかったのです。
私がいやされた後でも、私の牧師はこう言ったのです。
「かわいそうに、この子は長い間病床にいたので、それが彼の頭にまで影響を及ぼしてしまったんですね」
おわかりのように、私の牧師は神のいやしを信じていなかったのです。
しかし、神に感謝すべきことに、私はみことばを信じ、一人で立ったのです!
ですから、私はいやされた後、その教会に行くのをやめたのです。
(人々が不信仰なことばかり話題にしている教会に行っても、全くむだです。
なぜなら、その不信仰があなたの上になすり付けられるようになるからです)
■あなたの信仰を建て上げてくれるもの
私は私の家から通える所にあった、別の教派の教会に出席するようになりました。
その同じ年、一人の奉仕者が私の故郷の町でテントを立て、集会を始めました。600人以上の人々がその集会で救われました。
その結果、純福音派の教会が町に建てられました。
私は機会があるたびに、その教会に行って集会に出ていました。
なぜなら、彼らは神のいやしを信じていたからです。
おわかりのように、あなたは、あなたの信仰を建て上げてくれるものと交わりを持つ必要があるのです。
あなたの周囲のだれもが否定的なことを話題にしていたり、疑いや不信仰のことばを話していたりする時、一人で信仰に立つのは、きわめてむずかしいことなのです。
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